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F1レースに参戦した日本人ドライバー(片山右京と中嶋一貴)

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F1レースはFIA(国際自動車連盟)が主催する四輪自動車競技の世界選手権ですがFIAが主催する四輪自動車競技の世界選手権は、他にもWRC(世界ラリー選手権)・WTCC(世界ツーリングカー選手権)・WEC(世界耐久選手権)・WorldRX(世界ラリークロス選手権)などがあります。
これらの世界選手権の中でもF1レースはモータースポーツの最高峰とも称され、ヨーロッパだけでなく日本などアジアの各国でも開催されています。
例えば1999年にはマレーシアGPが開催され2005年には中国GPと2008年にはシンガポールGPが開催され、2010年には韓国GPが2011年にはインドGPが開催され2016年は史上最多の21戦が開催されました。
2018年も21戦が開催される予定ですがこれまでF1レースに、フルに参戦した2人の日本人ドライバーを紹介します。

 

パチンコ店やトラック運転手などで資金を稼ぎデビューを果たした片山右京

 

「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれ大阪産業大学工学部客員教授を務め相模原市の名誉観光親善大使や白山ジオトレイル名誉顧問でもある片山右京ですが、高校を卒業した後は筑波サーキット場の前にあるレースガレージで寝泊りしながら、さまざまなアルバイトをしながら1983年にFJ1600筑波シリーズに参加し同年のFJ1600筑波シリーズでシリーズチャンピオンに輝きます。
翌年の1984年には鈴鹿FJ1600Aクラスでシリーズチャンピオンになり、同年フランスのフォーミュラ・ルノースクールに入学し首席で卒業します。
本当であればスカラシップの資格があったのですが日本でF3の出走経験があったことから、スカラシップを獲得することができませんでした。
1992年に鈴木亜久里が在籍していたラルースチームに中嶋悟や、鈴木亜久里に次ぐ3人目の日本人レギュラードライバーが誕生しました。


F1ドライバー中嶋悟の息子の中嶋一貴もF1ドライバーとしてデビューを果たす

 

中嶋一貴はF1ドライバーだった父親の影響で1997年からカートレースを始め、1999年には鈴鹿選手権シリーズICAクラスでシリーズチャンピオンに輝きます。
その後トヨタが運営するフォーミュラトヨタレーシングスクールの受講生となり見事にスカラシップを獲得し、2003年にはそのスカラシップで参戦したフォーミュラ・トヨタでシリーズチャンピオンに輝きます。
ホンダ系のドライバーだった父親の七光りと言われることを嫌い、敢えてトヨタが運営するレーシングスクールに入学し結果を出しています。
2007年シーズンに初めてF1チームとドライバー契約を交わし最終戦のブラジルGPで、F1デビューし日本人としては17人目のF1ドライバーが誕生しました。

 

まとめ

 

片山右京のF1での成績は出走回数は17回で予選最高位はオーストラリアGPの15位で、決勝最高位はモナコGPとハンガリーGPの10位と目立った成績は残せずF1を引退しました。
中嶋一貴も決勝最高位は9位が2回と、結果を残せずF1を引退しています。

 

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