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F1レースに参戦した日本人ドライバー(中嶋悟と鈴木亜久里)

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これまでにF1レースに参戦した日本人人ドライバーはわずか19人で、さらにF1レースにフルに参戦した日本人人ドライバーは9人だけです。
ある意味で誰でも名前を知っている中嶋悟や鈴木亜久里や片山右京や中嶋一貴や、小林可夢偉や中野信治や高木虎之介や佐藤琢磨や井上隆智穂の9人です。
F1レースはFIA (国際自動車連盟) が主催する4輪の、1人乗りフォーミュラカーで行わる自動車レースで正式名称はフォーミュラ1です。
1950年からイギリスにあるシルバーストン・サーキットで始まったF1レースは、ヨーロッパだけでなくアジアなど世界各国で開催されています。


日本人初のF1フルタイムドライバーの中嶋悟

 

中嶋悟は高校在学中にレーシングカートを始めさまざまなレースに参加し優勝も経験し、高校卒業後はアルバイトをしていたガソリンスタンドに就職します。
働きながらレースに参戦するお金を稼ぎ1973年に、鈴鹿シルバーカップの第1戦でレースデビューし決勝で3位の好成績を残します。
1975年に開催されたFL500に参戦してシリーズチャンピオンの輝くなどしましたが、当時はレースに参戦する資金不足でもうレースに参戦するのは辞めようと考えていたようです。
ところが鈴鹿サーキットでチューナーとして有名だった松浦賢との出会いが転機となり、最強チームとの評判が高かったヒーローズレーシングに加入することができたのです。
中嶋悟はFJ1300ではシリーズ全7戦で全周回をトップで走る圧倒的な強さでシリーズチャンピオンを飾り、日本人初のF1フルタイムドライバーという快挙を達成します。

 

日本人2人目のF1フルタイムドライバーの鈴木亜久里

 

鈴木亜久里の父親は日本人の父親とフランス人の母親の間に生まれたハーフで、クォーターの鈴木亜久里の顔立ちも日本人顔というよりも外人顔です。
日大応援団長も務めた鈴木亜久里の父親はホンダ航空で整備士でしたが、カートショップ「ビック」を1973年に設立し日本自動車連盟のカート委員でした。
父親の影響もあり1972年にカートレースを始め1978年と、1981年の全日本カート選手権A2クラスのチャンピオンに輝いています。
1979年に18歳で全日本F3選手権に参戦し当時の最年少デビュー記録でしたが、8年間もF3で走りながらなかなか好成績を挙げることができませんでした。
転機となったのはトムスの舘信秀との出会いで、ワークス活動を再開した日産のワークスドライバーに抜擢されます。
そして鈴木亜久里は1988年に開催された日本GPで、中耳炎で参戦できなくなったヤニック・ダルマスの代役としてF1デビューを手にします。

 

まとめ

 

日本人として初めてF1フルタイムドライバーに参戦した中嶋悟のお陰で日本にF1ブームが起きましたが、中嶋悟のF1での成績は出走回数は80回で決勝出走回数が74回という素晴らしいものでした。
鈴木亜久里も1990年にイギリスGPで6位に入賞し、次戦の日本GPでは日本人として初めて3位に入賞しています。

 

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