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世界で活躍した日本人ドライバー

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F1やル・マン24時間レースに参戦したりインディ500で優勝を果たすなど、世界で活躍した日本人ドライバーが増えてきました。
1974年に日本人ドライバーの高原敬武が初めてF1のノンチャンピオンシップ戦に出場していますが、F1のチャンピオンシップ戦に出場したのは鮒子田寛(ふしだひろし)です。
同志社大学の学生だった鮒子田寛は在学中の1964年に鈴鹿サーキットで、ホンダS600で走り始め翌年の1965年にホンダの契約ドライバーに抜擢されています。
そして20歳の若さで自工ワークス「チームトヨタ」のドライバーに抜擢され、72時間スピードトライアルにトヨタ2000GTで参戦し世界速度記録を樹立しています。
日本人で初めてF1やル・マン24時間レースに参戦した鮒子田寛は、生沢徹や風戸裕などと共に海外で活躍した日本人ドライバーのパイオニアとも言われています。

 

パリ生まれでファッションモデルでもあった日本人ドライバーの福澤幸雄

 

福澤幸雄は1943年にフランスの日本国大使館に勤務していた父親と、フランスでソプラノを学んでいたギリシャ人の歌手の間に生まれました。
福澤幸雄は慶應義塾を創設した福澤諭吉の曾孫で妹はアーティストの福澤エミという家柄で、福澤幸雄も慶應義塾大学の法学部に入学し在学中にいすゞファクトリーと契約を交わしレーシングドライバーになります。
1966年にトヨタ・ファクトリーと契約し1968年には富士スピードウェイでおこなわれた「日本Can-Am」で、3リッターのトヨタ7で参戦し日本人選手の中ではトップで総合4位に入賞しています。
ドライバーとして活躍するかたわら福澤幸雄はアパレルメーカーに勤務するファッションモデルでもあり大きな注目を集めていましたが、1969年2月12日にトヨタ7のテスト中に25歳の若さで亡くなりました。

 

ホンダS600を改造したマシンで第2回クラブマンレース鈴鹿大会に出場し優勝した浮谷東次郎

 

1942年7月16日生まれの浮谷東次郎の父親は地元の庄屋でガス会社や自動車教習所などを経営していて、当時まだ車が普及していない時代にポルシェクラブの会長を務めていました。
そんな父親の影響もあり中学3年生の時にドイツ製の50ccのクライドラーで、祖父を訪ねて市川市と大阪市を往復する旅をしています。
その後アメリカに留学しトヨタ自動車に売り込みの手紙を書いて、トヨタの契約ドライバーとなるなど周りが驚くほどの行動力があったようです。
1964年5月に行われた第2回日本グランプリT-Vクラスにトヨタ・コロナで、ドライバーとしてデビューし同じ車種では最速の11位でゴールしています。
しかし浮谷東次郎も1965年8月20日に三重県の鈴鹿サーキットでの練習中に、コース上を歩いていた2人を避けようとして水銀灯に衝突して23歳の若さで亡くなりました。

 

まとめ

 

福澤幸雄も浮谷東次郎も若くて事故死しましたが福澤幸雄の恋人だった歌手の小川知子さんが、夜のヒットスタジオの生放送中にこの事故を知り泣きながら初恋のひとを歌ったそうです。

 

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